Close
Past Exhibition

山中信夫

15 July - 19 August, 2023

Venue : Takuro Someya Contemporary Art

  • Nobuo Yamanaka, Untitled, 1980, (H)12.5 x (W)16.3 cm, C-type print

Takuro Someya Contemporary Art は 7 月 15 日(土)より、前回に続き山中信夫の後期展覧会を開催いたします。

サンパウロ・ビエンナーレやパリ・ビエンナーレへの参加後、国際的な活躍が期待される中、34 歳という 若さで急逝した山中は、12 年という短い活動期間の中でおよそ 600 点に及ぶ手焼きのピンホール写真を遺しました。それらの写真はサインや記録も不十分な中、生前に関係の深かった美術評論家の東野芳明氏を代表として、作家の堀浩哉氏、栃木県立美術館学芸課⻑(当時)の竹山博彦氏、ご親族により立ち上げられた 「山中信夫遺作管理委員会」において、保管と特定がすすめられました。厳重な照合のもと「作品」と認定 された写真には委員会印が押され、その後その印は廃棄、ネガは栃木県立美術館に保管されています。

 

後期展覧会では、1982 年にニューヨークで客死した山中信夫が 1980 年に制作したピンホール写真「マンハ ッタンの太陽」シリーズより、「山中信夫遺作管理委員会」により認定された作品 16 点と、その過程で制 作されながらも公表されていなかったプリント 16 点を組み合わせ展示構成いたします。

 

 

 

山中信夫について(後編)

三輪 健仁(東京国立近代美術館)

 

 

前編では、デビュー作《川を写したフィルムを川に映す》(1971年)と、暗箱カメラ・オブスキュラ内に入り、小さな穴から投影される縮小反転した外界を眺める《ピンホール・カメラ》(1972年)に触れ、翌73年の作品における展開/転回を指摘した。展開/転回とは端的に、イメージが印画紙へ定着されたこと、つまり写真となったことである。この写真化によって起きるのは、イメージが箱の中の主体/主観から切り離されること、あるいは主体/主観が二重化しつつ箱の外へ出ていくような事態であった。(詳しくは前編をお読みいただきたい→https://tsca.jp/ja/exhibition/nobuo-yamanaka/)

 

-4-

だから、写真というよりも、時間的なことが多かったですよね。

はじめての“川に川を”だって、フイルムでやってきたことっていうのは、世界内のなかでの時間ということだった。ピンホール・ルームになってから露光時間が長くなるわけだけど、無限に長くなっていくのをどこかで切るわけ。フレームもそうなわけ。無限に大きくもなるわけだけど、どこかで切るわけでしょ。そのときに、切るといっても外側から切るんじゃなくて、内側から切るわけ。【傍点、引用者】

「映像対談 映像美術殺法帖」(渡辺哲也との対談)『美術史評』No.9、1978年5月、p.31-32

 

ピンホール・カメラの長時間露光と印画紙への定着は山中にとって、時間と空間の切断という作品の外延決定を前景化させるものでもあった(“川に川を”とピンホールがムービーでつながっているとは、外延決定=作品化をめぐる時間と空間への山中の認識が両者をつないでいるということでもあるのだ)。そして、この時間と空間の切断の方法として、前編の終わりで触れた主体の「切り離しと二重化/箱から外へ出ること」がある。カメラ・オブスキュラ(ピンホール・カメラ)とは、箱の中の主体がその外に広がる世界を、壁に穿たれた穴を通して(穴に切り取られた像として)受け取るという視覚モデルとして解釈されてきた。このモデルを採用しながらも、山中が考える時間と空間の切断とは、暗箱の「内」に立った主体の位置において為されるのではない。そしてまた「主体-壁(穴)-世界」という構造自体を俯瞰(対象化)するという意味での「外」に立って為されるのでもない。山中の言う内側から切るとはおそらく、箱の内外やフレームの内外という意味でなく、世界内においてということではないだろうか。そして「世界内において世界を切り取る」、すなわち切断が世界との接続を失わないために、山中は箱から外へ出たのだと思われる。

 

-5-

ぼく高校で山岳部にいたでしょ。山へ行ってね風景を見ているでしょ。溶け込むとかさ、そういう感じがあったわけ。

「映像対談 映像美術殺法帖」、p.30

 

空間性っていうよりも、空間のなかに私も入っているわけだし。

「映像対談 映像美術殺法帖」、p.31

 

「箱から外へ出る」ことで「内側から切る」、あるいは「世界内において世界を切り取る」感じは、1980年から81年にかけて展開された《マチュピチュの太陽》《ニューヨークの太陽》《東京の太陽》の3部作(4×5または8×10フィルムで撮影、印画紙に密着焼き付け)に見て取れる。《東京の太陽》のうちの一枚について、山中はこんな解説を加えている。「…塀の中央附近にボーッと写っているものがありますね。これは実はぼくの姿なんですよ。露光している間、ときどきその場所に行って座っていたんです。周囲とぼくとでは、フィルムの感光する時間がちがうから、ぼくは半透明の状態で写りこんでいるわけです」(「ピンホール写真。レンズのないカメラで撮る写真」(インタビュー)『イメージの冒険7 写真』1982年10月、河出書房社、p.92)。観者は心霊現象のように写真に刻印された山中の存在を見て取る。ここで世界と山中の関係は「主体-壁(穴)-世界」というような直線的、二項対立的、静的なものではない。山中は世界の内を移動している。

あるいは1977年5-6月、パリのポンピドゥー・センター(同年4月落成)にほど近い画廊「Liliane & Michel Durand-Dessert」の空間をピンホール・カメラに仕立てた展示でのエピソードも、80年代の3部作の予兆のようなものとして興味深い。「ボクは、サクレクールの丘の上からいつも画廊の方を見て、今日は天気がよいからよく映っている、今日は曇っているからうまく映っていないというように、天気の見張りが楽しかったことをおぼえている」(「パリで捨てそこなったピンホール」『美術手帖』No.426、1977年11月、p.107)。はるか遠くの丘に立つ山中の「姿」を、画廊の内から見ることはできなかっただろう。けれど一人の人間のまなざしがこちら側とあちら側両方に、そして同時にあるという幻影のようなイメージが立ち上がってくる(この2年前、ゴードン・マッタ゠クラークが建設中のポンピドゥー・センター近くの建物に、人間の視界を表す視円錐を含意した円錐状の穴を貫通させた《円錐の交差》を制作していることは興味深い符号だ。またマッタ゠クラークは山中の展示と同時期にパリのイヴォン・ランベール画廊で個展を開催していた。互いに互いの展示を見る、などということははたしてあったのだろうか)。

1973年のピンホール写真のシリーズでは、どちらかと言えば穴を内側から開ける、こちらからあちらへ向かう印象のものが多い。箱(暗闇)から恐る恐る外に出ていく感じだ。対して80年代のシリーズでは、半透明のイメージ、太陽そのもののイメージ、そしてとりわけ穴を縁取る輝かしい光の環(ピンホールの穴が厚みと凹凸を持つためにできるという)などによって、むしろあちらからこちらへ向かってくる印象を強く感じる。何が向かってくるのか? 半透明のイメージに、太陽に、そして光の環に「溶け込」んで、世界の内からまなざしてくる山中がいる。

 

-6-

七一年に、多摩川で「川に川を映す」をやったでしょ。スクリーンっていうのは限定された空間なんだけど、あのときの空間っていうのは、限定された空間じゃなくて、世界なのね。フィルムが映っている空間じゃないところがよく見えるわけ。

「映像対談 映像美術殺法帖」、p.30

 

近代において作品とは、世界から切り取られ(作者が世界を切り取り)、そのフレームの内で自律、完結すべきものとされた。無限定の世界そのものを表象することはできず、作品はともあれ切り閉じざるを得ないという意味では、間違いでないだろう。しかし山中の作品における時間と空間の切り取り=作品化は、自足したモノとして作品を残すことを主要な問題にしていたわけではない。山中の写真は、むしろモノとしての対象化や固定化を拒み、作品がその切り閉じの外へ川のように流出し、太陽光のように拡散していることを示す。そしてその流出と拡散の向こうに、作品の内側とはまったく異なる原理に司られた事象がいくつも在ることこそを示す。こういった山中の思考と実践は志半ばであったろう。しかしその先には、たとえば芸術作品がある限定付けを宿命とすることに自覚的でありながら、(一般に誤解されているような)「美術館の内と外」といった問題設定をはるかに超えて世界の在り様を思考した、ロバート・スミッソンの関心と接続するような地平が開けているように思われる。1971年の「美術館を離れて」『美術史評』No.3、(1971年)において山中は、スミッソンの重要なエッセイ「ニュージャージー州パサイックのモニュメントへの旅」『Artforum』Vol.6, No.4(1967年)からの次のような一節を引用している(山中がこの一節を知ったのは、『美術手帖』No.315[1969年7月]に藤枝晃雄が寄せた「観念のロマンティシズム―物質の消滅」中であり、スミッソンのエッセイ全体を知ることはおそらくなかったかもしれない)。

 

真昼の太陽の光が、このサイトを映画化し、橋と川を露出オーバーの写真に変えていた。それをわたしのインスタマチック400で撮影するのは、あたかも写真を写真に撮るようなものだった。太陽が途方もなく大きな電球となり、インスタマチックをのぞくわたしの眼に、切り離されたひと続きの「スチール写真」を映し出した。橋の上を歩くと、まるで木と鉄でできた巨大な写真の上を歩いているようかのようで、その下では川が、絶え間なく空白のみを映し続ける巨大な映画フィルムとして存在していた。[藤枝訳を参考に原文から新たに訳出]

山中信夫の写真のわずか10cmほどの円形に眼を凝らすとき、観者は風景へ向けられた山中のものと想像されるまなざしに半ば同化しつつ、しかし同時に、風景に溶け、こちらをまなざしてくる山中をも知覚する。ありふれた風景に思われたそのイメージに、見えるはずのない/見たことのない出来事が確かに見えてしまっている。その驚きに、写真を見ているわたしたちが立脚すると信じて疑わなかったいま、ここという場の揺るぎなさは不安定なものとなるだろう。無論それは歓迎すべきことだ。さあ、山中の写真が写し出す「世界」の豊饒さと複雑さ、そしてその確かさを祝福しよう。

 

 

 

 

 

Nobuo Yamanaka | 山中信夫

前期:2023 年5 月27 日(土)〜7 月1 日(土)

後期:2023 年7 月15 日(土)〜8 月19 日(土)

夏季休廊:8 月9 日(水)〜8 月16 日(水)

開廊:火〜土 11:00 – 18:00

休廊:日曜・月曜・祝日

〒140-0002 東京都品川区東品川1-33-10 TERRADA Art Complex 3F TSCA

TEL 03-6712-9887 |FAX 03-4578-0318 |E-MAIL: gallery@tsca.jp

 

Artist Profile

scroll to top