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ジギタリス あるいは1人称のカメラ|石原海、遠藤麻衣子、長谷川億名、細倉真弓

17 April - 19 June, 2021

Venue : Takuro Someya Contemporary Art

  • Mayumi Hosokura, image from “Digitalis #1,” 2021, video.

  • Maiko Endo, 2021.

  • Yokna Hasegawa, 2021.

  • Installation view《digitalis #1》2021,《digitalis #4》2021, Mayumi Hosokura, Photo by Shu Nakagawa

  • Installation view《牡蠣のような猫が落ちてくる》2021, Umi Ishihara, Photo by Shu Nakagawa

  • Installation view《Electric Shop No.1》2021, Maiko Endo, Photo by Shu Nakagawa

  • Installation view《Altarcall》2021, Yokna Hasegawa, Photo by Shu Nakagawa

  • Installation view from “Digitalis or First-Person Camera”, 2021, Takuro Someya Contemporary Art, Tokyo, Photo by Shu Nakagawa

Takuro Someya Contemporary Artは5月12日(水)より開廊時間を短縮し、展覧会「ジギタリス あるいは1人称のカメラ|石原海、遠藤麻衣子、長谷川億名、細倉真弓」を再開いたします。

開廊時間は火曜日〜土曜日 12:00 ー 18:00(日月祝休)とさせていただきます。また、会期終了日は6月19日(土)までに延長いたします。

展覧会の公開にあたり、感染拡大防止のための対策にご協力をお願いしております。

難しい状況の中、ご無理のない範囲で本展をご覧になる機会としていただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

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Takuro Someya Contemporary Artは4月17日(土)より、石原海、遠藤麻衣子、長谷川億名、細倉真弓の4名のアーティスト、映画監督による展覧会「ジギタリス あるいは1人称のカメラ」を開催いたします。 本展覧会を企画した細倉真弓は以下のように述べています。

 

 

 

ジギタリス あるいは一人称のカメラ

ジギタリスとは大島弓子の同名作品中において主人公の友人の兄が「眠れない時無理に目を閉じているとどこからともなくわいて出て消滅する不定形の発光体」「その1番でかい1番明るい星雲」につけた名前である。 視覚の実体と現象のあわいにあるような超個人的な視覚の記述であるが、いま私が見ているこの世界がそのジギタリスと違うと言い切れる確証もない。泣けば目の前が曇るような個人的な眼差しと共に私たちは日々生きているからだ。 カメラは機械の目による客観的な記録装置として認識されているが、同時に撮影者の視覚を共有することを可能にしたある意味でとても個人的な視線のツールとも言える。 一度カメラをそのように捉え直してみれば、誰かの目の裏をなぞるような、誰かのジギタリスと出会うことが可能になるのではないか。 ジギタリス、あるいは一人称のカメラは、私とあなたの境界を少しだけ曖昧にする、なぞられた視線を逆に辿ったその先にあるものについての問いである。

 

 

細倉真弓

 

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日本における女性の一人称で、最も多く使用されているのは「わたし」ですが、こどもの頃は必ずしもその限りではありません。例えば、言語学者・宮崎あゆみによると、女子中学生は「わたし」のほか、「ぼく」「おれ」「うち」「あたし」などのなかから自分に最も相応しいと思われる一人称を選び取ります。日本の中学生女子にとって、「わたし」は、女性性を強調する一人称として、忌避される傾向があるからです。しかし、彼女らは年齢を重ねていくなかで支配的なジェンダー言語イデオロギーを内面化し、創造的な一人称を捨て、「わたし」という単一の一人称を使用するようになるといいます。一方で、男性の場合は思春期に「おれ」が支配的になり、大人になるに連れて「おれ」のほかに、シーンによって「わたし」や「ぼく」を使い分けていくのです。[1] 本展覧会では、「わたし」という一人称代名詞のように、単一の言葉に回収されるのでもなく、女性性を自ら忌避するのでもない、それぞれに異なる、そして、ジギタリスのように極度に個人的な、「一人称」のバリエーションが提示されます。

 

細倉真弓は、これまでもカメラを一人称的に使用してきた作家といえます。繰り返し撮影している男性のヌードは、「撮る男性-撮られる女性」という、写真撮影にまつわるジェンダーを反転する視点と言えるでしょう。近作「NEW SKIN」では、作家が影響を受けた同性愛者の男性写真家へのオマージュを捧げ、男性身体に注がれる複数の視点をレイヤーとして重ねたデジタル・コラージュ作品を制作しました。新作「digitalis」シリーズは、日々、細倉が撮りためてきた写真をコラージュした一枚の巨大なイメージの中を、カメラがゆっくりとスクロールしていく映像作品です。イメージの個々の要素は、細倉の一人称的視点が反映されたものですが、映像のゆっくりとした横移動は、焦れた鑑賞者の目線のさまよいを促します。

 

石原海は、作中の物語の登場人物に自身を重ね映像作品や映画を制作している映画監督/アーティストです。今回は、女の子と猫とマジシャンについての会話劇によって展開される映像インスタレーション作品「牡蠣のような猫が落ちてくる」を発表します。マジックを本当の魔法にしたいと考えて身を危険にさらすマジシャンの純粋さは、他者には理解し得ない物語を、同じく理解し得ない熱情を持って追求する陰謀論者の姿や、フーコーの『汚辱に塗れた人々の生』につづられる狂気の者たちにも共通します。そして石原は、そうした人たちの生と、「ものを作る」ことで生きるアーティストの姿に類似を見ます。 言語学者ロマーン・ヤーコブソンが提起した「転換子(シフター)」は、誰が発話するかによってその指示対象を変える言葉であり、その代表的な例が「一人称代名詞」を指す言葉です(石原は文章の仕事では「アタシ」という一人称を使っています)。いわば「わたし」や「アタシ」、「ぼく」という言葉は、誰を代入することも可能な言葉と言えます。本作では、登場人物の女の子と石原が一人称を共有していますが、そこには鑑賞者の参加の余地もまた残されています。マジシャンが存在する病院をテーマにしたインスタレーションは、その参加への入り口となるでしょう。

 

映画監督として映画作品を発表してきた遠藤麻衣子は、本展で初めて美術作品として映像インスタレーションを発表します。 映画製作において遠藤が設定し構築していく世界は、他者と自己が混ざり合い、時間や空間の認識が統一されず分裂的に進んでいきます。映画の中で記録された映像はカメラマンだけの視点からみた光景ではあるけれど、遠藤が作った世界に入った視点でもあり、同時に実在する現実の世界でもあります。遠藤の作る映像世界の中では、一人称的視点と二人称的視点、三人称的視点が境界なく混在していると言えるでしょう。 今回、映画上映の環境とは全く違う空間で見せる作品として、新たなアプローチをもって制作されました。 本作は、遠藤が構想する長期の映像プロジェクト「Electric Shop」における「すべてのはじまりとなるスケッチ」として位置づけられています。「Electric Shop」プロジェクトは、名前の通り家電量販店から着想を得ており、家電売場において独特に発達した視覚表現を、遠藤の視点を通じて作り直していく試みです。テレビモニターの性能を可視化するために極限まで精巧に練られた映像は、作り手が見えず、一見、一人称的な視点を共有することを拒んでいるように見えます。一方で、家電量販店的な客観性とは相反する、過剰とも言えるファンタジーさも同時に展開していきます。ファンタジーであることは極めて個人的でもあるとも言え、同一の映像の中でいくつもの視点を行き来していることに気がつきます。 二重にも三重にも隠された視線をたどることで、ようやく共有されたビジョンの一人称に出会うことができるのかもしれません。

 

長谷川億名は今回、佐渡島に在住するある家族との夏を記録した映像作品「First Memory of the Ocean」とインスタレーション作品「Altarcall」を発表します。長谷川は設定やシナリオを偶然の呼び水として、降霊の儀式のように映画を作ってきたといいます。本展覧会で発表する新作はシナリオがなく、一見するとシンプルなドキュメンタリー映像にも見えますが、長谷川が「魅せられ」、「見惚れた」光景を鑑賞者と共有するものとなっています。 三浦雅士は写真論「幻のもうひとり」において、写真家を、被写体と同じ空間に存在しながらも顔も身体も奪われた存在であることに加え、鑑賞者は常に誰もがその写真家の位置からその光景を見るということを指摘し、鑑賞者が写真を見るときには「写真家は常に復元されている」と述べています。長谷川の作品でも同様のことが言えますが、本作は映像作品であり、鑑賞者が共有するもののなかに時間と音が加わります。そもそも、自分の視線を見せる行為は自分の思い入れを他者に開示することであり、映像作品は、画面にどれくらいの時間、なにが写っているかによって、作者の思い入れを鑑賞者が体験する装置と言えるでしょう。映像内ではたびたび「怖い」「危ない」などの恐怖の言葉も口にされますが、その感覚は一人称的なものです。映像内にも登場する神秘的な浮島「乙和池」を模した池のインスタレーションは、まさに鑑賞者の一人称と映像の中の人々、そして長谷川の一人称を符合させる呼び水となるのです。

 

ところで、本展覧会のタイトルともなった大島弓子の漫画「ジギタリス」では、主人公の「小林北人」が同姓同名の「小林北人」と出会い、同姓同名であるがゆえの友情の兆しやトラブルが描かれています。同じ名前を分け合う彼らは、まさに自他の「曖昧な境界」のなかを行き来し、それぞれの苦労や日常を共有していくのです。本展覧会「ジギタリス あるいは一人称のカメラ」は、それぞれの作家が、映像作品における、異なるいくつかの一人称のあり方を提起しています。鑑賞者にとっては、漫画「ジギタリス」の登場人物のように、作品内世界において自らの一人称を意識し再認識する契機となるでしょう。「最も個人的なことが、最もクリエイティブである」とマーティン・スコセッシが述べたように、最も個人的な視線は、最も開かれたものになりうるのかもしれません。

 

[1] 宮崎あゆみ「日本の中学生のジェンダー一人称をめぐるメタ語用的解釈―変容するジェンダー言語イデオロギー―」、社会言語科学第19巻第1号, pp. 135-150, 2016年9月

 

 

石原海 Umi Ishihara

映画監督/アーティスト。愛、ジェンダー、個人史と社会を主なテーマに、物語をベースとした実験的な映画作品とヴィデオインスタレーションを制作している。初長編映画『ガーデンアパート』、東京藝大学の卒業制作『忘却の先駆者』がロッテルダム国際映画祭に二作同時選出(2019)。また、英BBCテレビ放映作品『狂気の管理人』(2019)を監督。『UMMMI.のロンリーガール』で、英国の新人アート賞 Bloomberg New Contemporaries入選(2019)。ヴィデオインスタレーション『どんぞこの庭』で、現代芸術振興財団CAF賞岩渕貞哉賞受賞(2016)など。

Web: http://www.ummmi.net/

 

遠藤麻衣子 Maiko Endo

映画監督/アーティスト。1981年、ヘルシンキ生まれ。東京で育つ。2000年にニューヨークへ渡り、バイオリニストとして、オーケストラやバンドでの演奏活動、映画のサウンドトラックへの音楽提供など音楽中心の活動を展開した。2011年日米合作長編映画『KUICHISAN』で監督デビューを果たす。同作は2012年イフラヴァ国際ドキュメンタリー映画祭にてグランプリを受賞。2011年から東京を拠点に活動し、日仏合作で長編二作目となる『TECHNOLOGY』を完成させた。最新作中編『TOKYO TELEPATH 2020』が、2020年ロッテルダム国際映画祭正式出品作となる。同年第12回恵比寿映像祭に参加。現在、東京で撮影予定の長編三作目を準備中。2021年に初の美術作品となる映像インスタレーションを東京・東品川のTakuro Someya Contemporary Artで発表。

Web: https://www.kuichi-tech2020.com/

 

長谷川 億名 Yokna Hasegawa

1985年生まれ。2000年代からインターネット上で映像、散文の発表を始め、写真作品『アセンション・リバー』でキヤノン写真新世紀佳作(2013)。これまで、近未来の日本を舞台にしたSF三部作映画『イリュミナシオン』(2014)、『DUAL CITY』(2015)、飛鳥時代の伝説と北斎の春画に出てくる海女を同一人物と捉えた詩を元にした短編映画『The Pearl Diver’s Tale』(2020)などを監督。2017年第9回恵比寿映像祭に参加。環境の記録を目標としながらも、音声と映像のズレ、CGやセリフによる架空、意味を持たないほどに一次資料的な撮影、過剰な時間操作など、手法の誤用によって自分自身に起こる感情(記憶感覚)、映像触感、またそれがどれだけ他者と共有できるかを探求している。

Web: https://www.centralgame.org/

 

細倉真弓 Mayumi Hosokura

東京/京都在住。身体表象をベースに人種や国籍、人と動物や機械、有機物と無機物など「かつて当たり前であったはず」の境界を再編する作品を制作している。 立命館大学文学部、及び日本大学芸術学部写真学科卒業。 主な個展に「NEW SKIN |あたらしい肌」(2019年、mumei、東京)、「Jubilee」(2017年、nomad nomad、香港)、「Cyalium」(2016年、G/P gallery、東京)、「クリスタル ラブ スターライト」(2014年、G/P gallery、東京)、「Transparency is the new mystery」(2012年、関渡美術館2F展示室、台北)など。 主なグループ展に、「The Body Electric」(2020年、オーストラリア国立美術館、キャンベラ)「小さいながらもたしかなこと」(2018年、東京都写真美術館、東京)「Close to the Edge: New Photography from Japan」(2016年、Miyako Yoshinage, NY)、「Tokyo International Photography Festival」(2015年、 Art Factory Jonanjima, 東京)、「Reflected-Works from the Foam Collection」(2014年、Foam Amsterdam、アムステルダム)など。 写真集に『Jubilee』(2017年、artbeat publishers)、『transparency is the new mystery』 (2016年、MACK)、『ファッション・アイ 京都BY 細倉真弓』(2021年、LOUIS VUITTON)など。 作品の収蔵先として、東京都写真美術館など。 現在、資生堂ギャラリーにて開催中の「アネケ・ヒーマン&クミ・ヒロイ、潮田登久子、片山真理、春木麻衣子、細倉真弓、そして、あなたの視点」に参加している。会期は4月18日(日)まで。

Web: http://hosokuramayumi.com/

 

 

展覧会概要:

「ジギタリス あるいは1人称のカメラ|石原海、遠藤麻衣子、長谷川億名、細倉真弓」

会期:2021年4月17日(土)〜6月19日(土)

開廊:火〜土 12:00 – 18:00

休廊:日曜・月曜・祝日

会場:Takuro Someya Contemporary Art

〒140-0002 東京都品川区東品川1-33-10 TERRADA Art Complex 3F TSCA

※COVID-19感染拡大防止への配慮から、オープニングパーティーは行いません。

 

お問い合わせ: TEL 03-6712-9887 |FAX 03-4578-0318 |E-MAIL: gallery@tsca.jp

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