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  • “Galaxy Wash”, 2008 HDV 14’ 34” Single channel video with sound

  • “The White building washing” 2012 3ch synchronized Full HD video with sound, 11′ 40″

  • “Dancing Cleansing”, 2010 HDV 10’ 00” Single channel video with sound

  • “Untitled (On the carpet)”, 2007 600mm X 450mm Lumda print Tehran, Iran

  • “Polishing Housing” Installation view, 2009 W4.5m X D7m X H5.3m Woods, Plasterborad, Aluminium, Glass, Other Alternative gallery monne porte, Nagasaki

  • “White porcelain bottle” installation view at TSCA, 2011

Profile

2009 東京芸術大学美術研究科後期博士課程 終了 博士(美術)
1975 京都府出身

Awards

Solo Exhibitions

2017 "親密の遠近法” Takuro Someya Contemporary Art(東京)
"とけだす。" 佐賀さいこうアートプロジェクト2017助成 gallery circlo(佐賀)
2016 "習慣のとりこ -見つめ、再生、指しゃぶり" 秋田公立美術大学、BIYONG POINT Gallery(秋田)
"まわりだす。" 佐賀さいこうアートプロジェクト2016助成 gallery circlo(佐賀)
2015  ”習慣のとりこー踊り、食べ、排便する” 秋田公立美術大学、BIYONG POINT Gallery(秋田)
”通りすぎたところ、通りすぎたもの” Takuro Someya Contemporary Art(東京)
2012 “What happened on the pool ?” TERATOTERA祭り(東京)
2011 “袋小路のミューテーション” 3331 gallery(東京)
“Slow, Down.” Art Center Ongoing(東京)
“Dancing Cleansing” Takuro Someya Contemporary Art(東京)
2010 “Park Cleansing” Art Center Ongoing”(東京)
“The M.I.X. – All clean / ever dirty” (台北)
2009 “Clean up 1.2.3.” Art Center Ongoing(東京)
“Polishing Housing” monné porte(長崎)

Group Exhibition

2017 リボーンアート・フェスティバル 2017 (宮城)
2014 "アジア・アナーキー・アライアンス"(東京)
"3331 アートフェア" (東京)
"Backyard stories 2014" (バトゥーミ、グルジア共和国)
2013 "Am I you?" G. Leonidze Museum of Georgian Literature (グルジア共和国)
"Now Japan" Kunsthal KAdE Amersfoort(オランダ)
"NEEDLESS CLEANUP" Meet Factory(プラハ)
"Maintenance Required" The Kitchen(ニューヨーク)
"六本木アートナイト2013" 六本木7丁目地区(東京)
2012 "Tokyo Story 2011" トーキョーワンダーサイト(東京)
"White Night" A.I.R.カンボジア(プノンペン)
2011 “Artisterium 2011 “Free fall””(グルジア共和国)
“Drop me! C.P.U.E.2011” 似て非works(横浜)
“TERATOTERA Festival “POST””(東京)
“アートの課題 “僕らはどこに立っているのか?””トーキョーワンダーサイト(東京)
“ホームスウィートホーム” 多摩美術大学(東京)
“トーキョーストーリー2010”トーキョーワンダーサイト本郷(東京)
2010 “Spontaneous Order” Takuro Someya Contemporary Art(東京)
“How to invert urbanism” Asahi Art Square(東京)
“コザクロッシング2010” コザ銀天街(沖縄)
2009 “Re: Membering. Next of Japan” LOOP / Doosan Gallery(韓国)
“わくわく混浴アパートメント”(大分)
2009 “記憶・状態” 江西師範大学美術館(中国)
“真夏の夢” 椿山荘(東京)
“広島アートプロジェクト吉宝丸‘09” 吉島地区(広島)
“コザクロッシング” コザ銀天街(沖縄)
2008 “多面ミラー” The HOUSE 展覧会企画 旧日本ホームズ住宅展示場(東京)
“博士審査展” 東京藝術大学大学美術館
“Wanakio 2008” 栄町市場(沖縄)
2007 “Double Cast” トーキョーワンダーサイト本郷(東京)
2006 “SWITCH” 慶応義塾大学(神奈川)
2005 “The Road not Taken‘05” ギャラリーそわか(京都)
“Voice of site” ビュジュアルアーツ・ギャラリー(アメリカ)
“言の伝え” S.A.P. 2005(東京)
2004 “卒業制作展” 東京都美術館(東京)
“S.I.C.E. 2004”(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
“Voice of site”(東京)
“言の問い” S.A.P. 2004(東京)
2003 “Outcomes of one time and space”(ドイツ)
“S.I.C.E”(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
“Junction” 東京藝術大学絵画棟(東京)

Publication

Collection

Others

アートフェア
2012 アートフェア東京2012
コラボレーション
2016    舞台作品『x / groove space』 (日本、ドイツ)

Profile

2009 東京芸術大学美術研究科後期博士課程 終了 博士(美術)
1975 京都府出身

Awards

Solo Exhibitions

2017 "親密の遠近法” Takuro Someya Contemporary Art(東京)
"とけだす。" 佐賀さいこうアートプロジェクト2017助成 gallery circlo(佐賀)
2016 "習慣のとりこ -見つめ、再生、指しゃぶり" 秋田公立美術大学、BIYONG POINT Gallery(秋田)
"まわりだす。" 佐賀さいこうアートプロジェクト2016助成 gallery circlo(佐賀)
2015  ”習慣のとりこー踊り、食べ、排便する” 秋田公立美術大学、BIYONG POINT Gallery(秋田)
”通りすぎたところ、通りすぎたもの” Takuro Someya Contemporary Art(東京)
2012 “What happened on the pool ?” TERATOTERA祭り(東京)
2011 “袋小路のミューテーション” 3331 gallery(東京)
“Slow, Down.” Art Center Ongoing(東京)
“Dancing Cleansing” Takuro Someya Contemporary Art(東京)
2010 “Park Cleansing” Art Center Ongoing”(東京)
“The M.I.X. – All clean / ever dirty” (台北)
2009 “Clean up 1.2.3.” Art Center Ongoing(東京)
“Polishing Housing” monné porte(長崎)

Group Exhibition

2017 リボーンアート・フェスティバル 2017 (宮城)
2014 "アジア・アナーキー・アライアンス"(東京)
"3331 アートフェア" (東京)
"Backyard stories 2014" (バトゥーミ、グルジア共和国)
2013 "Am I you?" G. Leonidze Museum of Georgian Literature (グルジア共和国)
"Now Japan" Kunsthal KAdE Amersfoort(オランダ)
"NEEDLESS CLEANUP" Meet Factory(プラハ)
"Maintenance Required" The Kitchen(ニューヨーク)
"六本木アートナイト2013" 六本木7丁目地区(東京)
2012 "Tokyo Story 2011" トーキョーワンダーサイト(東京)
"White Night" A.I.R.カンボジア(プノンペン)
2011 “Artisterium 2011 “Free fall””(グルジア共和国)
“Drop me! C.P.U.E.2011” 似て非works(横浜)
“TERATOTERA Festival “POST””(東京)
“アートの課題 “僕らはどこに立っているのか?””トーキョーワンダーサイト(東京)
“ホームスウィートホーム” 多摩美術大学(東京)
“トーキョーストーリー2010”トーキョーワンダーサイト本郷(東京)
2010 “Spontaneous Order” Takuro Someya Contemporary Art(東京)
“How to invert urbanism” Asahi Art Square(東京)
“コザクロッシング2010” コザ銀天街(沖縄)
2009 “Re: Membering. Next of Japan” LOOP / Doosan Gallery(韓国)
“わくわく混浴アパートメント”(大分)
2009 “記憶・状態” 江西師範大学美術館(中国)
“真夏の夢” 椿山荘(東京)
“広島アートプロジェクト吉宝丸‘09” 吉島地区(広島)
“コザクロッシング” コザ銀天街(沖縄)
2008 “多面ミラー” The HOUSE 展覧会企画 旧日本ホームズ住宅展示場(東京)
“博士審査展” 東京藝術大学大学美術館
“Wanakio 2008” 栄町市場(沖縄)
2007 “Double Cast” トーキョーワンダーサイト本郷(東京)
2006 “SWITCH” 慶応義塾大学(神奈川)
2005 “The Road not Taken‘05” ギャラリーそわか(京都)
“Voice of site” ビュジュアルアーツ・ギャラリー(アメリカ)
“言の伝え” S.A.P. 2005(東京)
2004 “卒業制作展” 東京都美術館(東京)
“S.I.C.E. 2004”(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
“Voice of site”(東京)
“言の問い” S.A.P. 2004(東京)
2003 “Outcomes of one time and space”(ドイツ)
“S.I.C.E”(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
“Junction” 東京藝術大学絵画棟(東京)

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Others

アートフェア
2012 アートフェア東京2012
コラボレーション
2016    舞台作品『x / groove space』 (日本、ドイツ)
  • 反復とノイズの先に現れるもの

    Toshiaki Ishikura 石倉敏明

     洗浄、食事、掃除、排泄は岩井優の作品に繰り返し現れるモチーフだ。これらの一連の行為を結ぶ共通項は何だろうか?私たちが「社会」と見なしている空間は、表面的には個人と個人が交わす対面的なコミュニケーションや、文字や記号を使った情報の伝達、貨幣と商品の交換によって何事もなく成立しているように見える。しかし、その秩序の背後には、社会の一員がそれぞれの生活を成り立たせるための行為の反復が存在し、それは通常「当たり前のこと」として、日々の風景に溶け込んでいるように見える。私たちがいつも目にしていながら気がついていないそのような行為の反復は、社会集団だけでなく、個人の身体のスケールでも同様に繰り返されている。

     私たちが日々、疑問を抱くことなく繰り返している習慣的行為。岩井は、世界中の様々な地域に住み込んで、こうした日常的な行為の反復を観察し、その背後にある現実を明るみに出すのである。たとえば「洗浄」という行為は、私たちが持っている生物学的な身体を、社会的/記号的な身体から切り離して管理する一連の過程に組み込まれている。社会的/記号的な身体を持つ私たちは、確かに自分自身から生じる垢や汗、糞尿などの排泄物、様々な種類の汚れや匂いを落とし、清潔で衛生的な状態に保つことを、社会から要請されている家庭用洗濯機、水洗トイレ、ユニットバス、システムキッチンなどの需要は、ここにあるといえる。しかし、もし、衣料を洗うための家庭用洗濯機に、誤って食品や生き物、排泄物が紛れ込んでいた場合はどうだろうか? そもそも「洗浄」とは、社会にとってどのような意味をもつ行為なのだろうか?

     衣服の洗濯という行為が、洗剤と洗濯機の機能によって最適化された現代の都市生活者にとって、川辺や水汲み場の冷たい水を使って洗濯する人びとの生活を想像することは難しいかもしれない。水辺は、多くの人々や他の生物が利用している共通の資源であり、もちろん洗濯のためだけに作られた空間ではない。たとえば南アジアのように川で食用の魚を獲り、食器や衣類を洗浄し、沐浴を行い、場合によっては死者を荼毘に付して遺灰を流す、という地域環境の中では、洗濯という実践のあり方も、洗濯機や下水道の設備を備えた都市とは異なる。水路が整い、治水が進み、炊事や洗濯などの生活技術に応じて水が使われるようになると、水汲み用の井戸、洗濯場、沐浴場、水飼槽、泉、トイレといったように、それぞれの目的に応じた水場が管理されるようになる。

     このような社会意識の変化を、人類学者はこれまで世界各地で記録してきた。たとえばイヴォンヌ・ヴェルディエによれば、フランスでは19世紀後半に、水仕事の混乱を避けるための様々な決まりごとが制定されていったという。ディジョン近郊のミノ村では1883年に、泉の利用について次のような法令が出されている。

     

     第一条———水飲み場とされている泉の槽内で、洗濯もの、馬具、じゃがいも、野菜、びん、鍋、その他不潔なものを洗うことを禁ずる。

     第二条———同じく、洗濯場とされている槽および洗濯場内で、野菜、じゃがいも、馬具、鍋、動物の腸、その他不潔なものや汚物を洗うことを禁ずる。シーツ、布、衣類一般しか洗ってはならない。

    (ヴェルディエ『女のフィジオロジー ——洗濯女・裁縫女・ 料理女』大野朝子訳、新評論)

     

     人類学者の研究は、ある地域社会が、用途別の水利用の環境を定めた時期に生じる、住民の意識変化を説明している。たとえばある町に洗濯専用の水場が生まれたとき、それまであらゆる水仕事を一カ所で済ませていた人々の意識は、必然的に変わってゆく。そしてこの時、洗濯に関わる水場を、食器や肉や野菜の洗浄、入浴や洗髪、観賞魚の飼育といった他の水に関わる行為と混同することは、ミクロな社会秩序や衛生的なコードを撹乱する行為として、禁止されてしまうのだ。この禁止の前と後では、住民の生活や身体の癖なども変化するだろう。そして、こうした水場の分類と衛生学的な基準は、洗浄の舞台が家庭の水場やキッチン、風呂場、トイレ、水槽、洗面所、洗濯機といった機能別のミクロな水環境に移った現代の居住環境にも、同様に引き継がれていくことになる。そこで半ば自動的に洗浄され、排水されていくものは、その社会の「秩序(コスモス)」から排除されていく「混沌(カオス)」であり、音響の世界で言えば「雑音(ノイズ)」に相当するものなのだ。

     岩井優は、代表作の一つである《Galaxy Wash》(2008)という作品で、こうしたコスモスとカオス、あるいは音律とノイズの間で引き裂かれながら生成する何ものかを浮かび上がらせようとしている。靄のかかった水槽の中に、次々と現われる(=洗われる)モノたち。この映像の中で洗剤によって洗浄されるのは、食器だけでなく、肉や野菜、縫いぐるみ、本、靴、サングラスといった全く異なるジャンルに属する事物である。社会空間の中では互いに分類されるべきものを混ぜ合わせ、あり得ない状況を実現させることによって、岩井は洗浄にまつわるローカルな社会常識を撹乱し、私たちが「当たり前のこと」として思考せずに済ませている次元を明るみに出す。けれども決してそれだけではない。この作品は、単に洗浄行為の記録映像として、光学的・色彩的な審美性を追求しているのではなく、洗剤という媒体や、洗浄という象徴的な行為が持っている、別種の秩序生成力をも映し出している。

     洗剤が溶けた半透明の水中には、洗浄行為を続ける手が存在し、すでに洗われた野菜や肉や本が漂っている。同じ水中に、バラバラになった食品の破片を食べながら泳いでいる魚の姿が見える。洗剤の溶けた水中で、食材、道具、アクセサリー、魚といった異なるジャンルのモノが一緒になった映像は、鑑賞者の感覚を撹乱し、不快感を与えるかもしれない。しかし、この撹乱を超えたところには、洗浄の過程で排除され、廃棄され、忘却される汚れや穢れを受け止める、もう一つの美学が待ち構えている。それは、社会空間の裂け目から噴出する、ノイズの美学と言っても良いかもしれない。《Galaxy Wash》という作品は、まさに夜空に浮かぶ銀河系のように、洗浄行為そのものが運動状態にある秩序=宇宙を作ることを思い出させてくれる。そこでは、洗浄によって作り出される秩序と、それによって排除される汚物=ノイズが、同時的かつ複層的に存在しているという状況が映し出されるばかりか、互いに公転や自転を繰り返す星々のように、人間の干渉から離れた事物同士の関係さえもが表現されてゆく。水槽内でダイナミックに渦を巻き、頼りなく浮沈し、次第に水を濁らせていくモノたちは、一瞬前の秩序を破壊しながら、極小の銀河的宇宙を浮かび上がらせるのだ。

     イギリスの人類学者メアリー・ダグラスが明らかにしたように、人間世界の秩序は分節された象徴的な体系によって保証されている。しかし、この分節を超えていく両義性を秘めたものは、社会的な分類秩序を撹乱する要素として、社会には危険視されることになる。たとえば唾や糞尿や血は、それが人間の身体を循環する限り正常なものと考えられるが、一度身体から離れ、社会空間に据え置かれた瞬間に、「穢れ」や「ノイズ」として強烈な嫌悪感を呼び覚ます。爪や髪の毛もまた、それが身体の一部である限りにおいて社会的な景観として許容されるが、それが身体から切り離された時、「汚物」として廃棄しなければいけないという切迫した感情を喚起する。同様に、綺麗な器に盛り付けられた食事も、それが清潔な食卓や食堂にある限りにおいて清潔な対象であり続ける。もしもそれが、排泄物やゴミの山が堆積した「場違いな場所」にあったとしたら、強烈な汚穢の感情を促すだろう。汚れの感覚は、象徴的秩序の撹乱に起因する。ダグラスはそこに、社会的な禁忌とマナーの根源を見出したのだ(メアリー・ダグラス『汚穢と禁忌』塚本利明訳、ちくま学芸文庫)。

     《路上のコスメトロジー(Cosmetology on the street.)》(2012)は、路上のノイズというべき犬の糞を加工する一連の動作を記録した作品である。路上に放置された犬の糞。それ自体は、ヨーロッパの都市では別段珍しいものではない。この作品では、しかし、この糞の上に制汗剤や乳液、ゲル状の流動体がうねうねと絞り出され、絶望的な悪あがきを続けるように「化粧」される。しかも、その糞は唐突に燃やされ、その燃え滓にも執拗に新たな化粧品が絞り落とされる。唐突に添付された付け睫毛の存在によって、その糞は人の顔の陰画となり、路上のコスメトロジー(=美容術)というタイトルによって、人はこの作品に美容への暗示が込められていることを知る。路上という、人間の往来や都市交通のために整備された空間に異物として存在する犬の糞が、化粧という美的な秩序付けの痕跡を纏うことによって生まれる眩暈のような感覚。「路上における犬の糞と化粧品の出会い」によって、汚穢の感覚は明瞭化され、清浄な街の景観は決定的に「脱人間化」されるのだ。

     人間にとって都市生活のパートナーである犬の糞は、人間化された自然と、自然化された文化が交わる曖昧な境界をしめしている。ヨーロッパの街角で出会う犬の糞は、その町が石造りの堅固な様相を示し、取り澄ました雰囲気を放っていればいるほど、場違いに感じられる。岩井はしかし、その気まずさを乗り超えて、あたかも糞という有機物にとっての街の異質性を浮かび上がらせるかのように、「コスメトロジー(美容術)」という、語源的にはまさに「コスモス(宇宙=秩序)」の創造に関わる技術を前景化させる。コスメトロジーとは、まさしく人間の顔に秩序をもたらす技術であり、このコスモスはそれに先行するカオス(混沌)と対比されている。岩井は、その技術を犬の糞に施すことで、人々が当たり前のように生きている社会的な生活の背景に、相互的に織り成される豊かな物質-記号実践のテクスチャーを見出し、コスモスとカオスの二分法を超えた集合的な作用のダイナミズムを見出そうとするのだ。

     この対立は、ジョージア(グルジア)で制作された《100匹の魚  または愉悦のあとさき (100 fishes or before and after epicure) 》(2014)の中で、テーブル上に並べられた食べられる前の魚(鱒)と、食べられた後の同じ魚の残骸の光景として反復的に提示されている。この作品には、撮影地の社会に深く参与しながら、身体性を決して捨象することのない作家の姿が現れている。食べられる前の魚は、「生き物」から「食べ物」へ、自然から文化へと大きな境界を渡る直前の「生のもの」である。しかしその内臓が取り除かれ、料理され、食べられてしまった後は、「身(肉)」はいうまでもなく食べた人間のエネルギーや身体の一部となって、今度はその体内を循環するのだ。こうした個人の身体的なミクロコスモスと、魚たちがもともと生きていたマクロコスモスは、バラバラに存在しているのではなく、「生き物」を「食べ物」に変換する可食化の技術、すなわち料理術によって繋ぎとめられている。

     ここで、食べられなかった魚の骨や頭、取り除かれた腑【はらわた】は、単に汚物として廃棄されるだけではない。映像の最後でテーブルクロスを片付け、テーブルを取り払った後に残る一匹の猫は、まさにその廃棄物の循環や都市のエコロジーを具現化した存在である。つまり、集団的な清掃や洗浄の行為によっても綺麗にぬぐい去ることのできない残余が、そこには現れている。残余となる現実は、少なくともテーブルの下の猫にとっては、立派な食べ物なのだ。

     たとえば岩井が意識的に繋ごうとする清掃行為とダンスの間にも、このようにぬぐい去ることのできない残余が現れている。秋田県での滞在制作の成果として制作された《Dancing Cleansing -Bon dance, Akita》(2015)には、清掃する人、洗濯する人、洗浄する人と一緒に、いくつかの「盆踊り」の形式が映し出されている。新屋地区での集中的な参与観察を経て、市民や学生とともに一旦途絶えてしまった盆踊りと盆歌の形式を復活させた時、岩井はこの地域の忘れられた芸能の記憶だけでなく、死者の忘れられた身体や、土方巽の暗黒舞踏にも通じる反復とノイズの美学を呼び覚ましたのではないだろうか。こうした観点からダンスと清掃行為の同調性を見る時、岩井作品に繰り返し現れる集合的な他者像———堆積した時の埃を拭う夥しい「清掃人」たちの群———は、たとえば葬儀の際に竹箒を使って生と死を分かち、彼岸と此岸を分離しようとする力の集合体のように見える。しかし、時には生と死の境界を超えて、私たちは同じ輪の中で死者と再会し、束の間の踊りの愉悦を共に味わおうとするのだ。

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  • 暴力的な衛生と文脈的汚穢

    Nina Horisaki-Christens

     画面いっぱいに広げられた白い布。その左下には30尾ほどの魚が積みあげられている。程無くして人々の頭や手がフレームインし、画面全体が満たされるまで、次から次へと魚が並べられていく。半ば不規則に配置されたそれらは、微動だにしないことを除けば、まるで水の中を漂う魚の群れのようである。ナイフや鋏を持つ手は画面端から中央へと伸び、魚を切り捌いては、時に力を込めて、そして時にはいとも簡単にそのぬるり黒ずんだピンク色の腸を取り除いていく。

     捌かれた魚は画面の端や隅に置かれ、取り除かれた腸はいくつかの山に分けてまとめられる。人々は血まみれの残骸で汚れたその手を時折布の上で拭い、その表面に赤や薄茶色の筋を残していく。魚が片付けられると、それらの存在の痕跡は、布に染みた水分—水、腸、血、脂としてその場にとどまる。その後、画面上での動きは暫し静止する。この作業の一時停止により、拭われた手の跡、捌かれた魚の残骸、積み重ねられた腸、そして隅に寄せられたナイフの山によって織り成された、一つの構図が浮かび上がる。この瞬間は、画面が暗転した後に再び同じ構図が映し出されることによってさらに強調される。

     この遷延されたワンシーンからは、ジャクソン・ポロックの《Full Fathom Five》や白髪一雄の《猪狩 弐》、ヘルマン・ニッチュによるシュッテビルドの作品にも美学的に通ずるような、ある種の絵画性を感じ取ることができる。このイメージに取り込まれた暴力的な行動は物質的表現と儀式との狭間に位置し、それは高度なモダニズムの幻影と、そこから派生するパフォーマンス的分身を呼び起こす。しかしながら、1分後に画面上の動きが再開されたときに明らかになるように、これは進行中のプロセスにおける1つの段階に過ぎない。最終的にはナプキンや皿をはじめ、使用済みのグリルや飲み物を載せたトレーが登場する。数々の手がこれらの残留品を片付け、布をはがして折りたたみ、その下のテーブルを解体する。しかしながら、この視覚的展開において音声のみは一貫としており、終始パーティーにいるかのようなガヤガヤとした雑音が流れている。その中から暫し識別可能な言葉が聞こえてくることも暫しあるが、それらの断片を決して具体的な発言や会話に結びつけることはできない。ポロックや白髪の作品で見受けられるような演劇的ともいえる暴力の模範、または、パフォーマンス要素を孕んだニッチュの衝撃的な暴力性とは違い、岩井優の《100匹の魚  (または愉悦のあとさき) 》では、浄化、消費、整理という循環的なプロセスにおいて、自然行為としての「暴力」がこの「魚の宴」というシチュエーションに非演劇的、かつ間接的に組み込まれている。

     岩井は自身の作品を通じて、掃除習慣や儀式、泥やごみとの境界、そして維持や保存という行為から垣間見られる価値観などの追究を続けているが、そこには概念的、及び文字通りの暴力に対抗する形式主義と美学が見られる。また、岩井の作品世界の中心に位置しているのは近代化やモダニズムの基準とも言える「清潔=美徳」という考え、そしてそれが暴力的に作用する日常空間との間の緊張感である。

     岩井は時には自身の作品の中でこのような暴力を、とてつもなく極端な洗浄行為によってもたらされる破壊という形で表現している。《ポリッシング・ハウジング》(2009年)と命名された映像は、実物大の木造家屋を壁面の石膏ボードをはじめ、ありとあらゆる表面を磨くという一連の経過を撮影した作品である。本来なら表面を滑らかに仕上げるはずの行為が合理的な限界を超えて継続されることで、結果として建物の完全な崩壊をもたらす。最終的には留め具の痕跡や崩れ落ちた木材、まき散らされた石膏の中にかろうじて建てかかる窓やドアといった、廃墟のような空間が現れる。このある種の破壊的衝動は、岩井の洗剤を用いた作品にも度々登場する。岩井自身が指摘しているように、洗剤がその効果を発揮できるのは、それが有機生命体にとって害がある有毒な物質だからである。細菌を死滅させるのと同時に、人間が大量に摂取すれば身体に害をもたらし、最悪の場合は死にも至らしめる可能性がある。それでも、食器類の洗浄や調理台の清掃、果物や野菜の表面を洗う時にすら、私達は必然ながら日常的にそれを少量摂取しているのだ。2013年に発表されたパフォーマンス作品《ウォッシング・ステージ》では、食器類、野菜、魚、パン、肉といった様々なモノが、黒い台座のようなステージ上で石鹸によって「洗われる」。これらのモノの表面は厚い泡の層に覆われ、それはモノの表面に吸収されると同時に、下の台座へと滴り落ちる。滴り落ちた石鹸の泡はモノの表面から洗い流された血や脂と混ざり合い、当初は清潔であった黒い台座の表面を汚すパフォーマンスの痕跡としてその場に留まるのだ。一方、このような「清潔」な石鹸が「汚れた」血と交わる様子は、岩井の作品をとりまく別の破壊的要素へと通ずる。それは、清潔や衛生といった概念にまつわる分類的境界の破壊である。メアリー・ダグラスは自身の著書『汚穢と禁忌』において、次のように述べている。

    dirt is essentially disorder. There is no such thing as absolute dirt: it exists in the eye of the beholder. If we shun dirt, it is not because of craven fear, still less dread of holy terror. Nor do our ideas about disease account for the range of our behaviour in cleaning or avoiding dirt. Dirt offends against order.[1]

    汚穢(ダート)とは本質的に無秩序である。絶対的汚物といったものはあり得ず、汚物とはそれを視る者の眼の中に存在するにすぎない。清掃や汚れを避けるという私たちの行為の中に、疾病に対する私たちの考え方は含まれない。汚穢は秩序に反するものである。

     

     《ギャラクシー・ウォッシュ》(2008)は、おそらく皮肉とも捉えられる形で、カテゴリー別に異なる種類のモノの間に存在する境界を、石鹸という媒体(この場合は水と混じり合っている)を介して崩壊させ、秩序を乱している。見上げるような視線で水槽の底から撮影された映像には、水の中に沈んだ様々なモノを洗うためにスポンジを動かす手が浮かび上がる。グラスと陶器のカップから始まり、手はたちまち人参、豆腐、肉といった食材に移ったかと思うと、本、スニーカー、眼鏡などのモノも次々へ洗われていく。様々なモノは洗われると水槽の底に落とされ、ビデオカメラと、もはや肉体とは切り離された手との間に蓄積し、モノから剥がれ落ちた破片や汚れなどによって水が次第に薄暗く濁っていく。私達の視覚は蓄積された様々なものによって阻まれ、同時に異なる種類のモノを区別するための分類方式が打ち破られる。鑑賞者はスニーカーがステーキの隣で洗われることに、当初は嫌悪感を抱くかもしれないが、それは果たして何故であろうか。石鹸水に沈められたとき、これらに違った扱いをする理由はあるのだろうか。この不快感は、細菌に関する実際の懸念か、またはものを分類するカテゴリー方式が侵害されたことによってもたらされる汚染に対する、より曖昧かつ非合理的な恐れの現れなのだろうか。

     無論、これらのスキーマ(概念)は洗われているモノそれ自体や、清掃方法に留まらない。つまりは、清掃の形式的特性にまで迫っている。岩井の《ダンシング・クレンジング・シリーズ》(2010〜2015年)では、清掃という行為をパフォーマンスとして捉えることによってこれらの特性に目を向けていくと、このような作品に前例がないわけではない。その中で最も直接的とも言えるのがミエレル・レーダーマン・ユケレスの《Touch Sanitation: Follow in Your Footsteps (1977-80)》である。作品では、ニューヨーク市の清掃労働者の日常的な仕事の動きが、一連の非功利的行動として再現されている。その後、ユケレスは動きに関する研究を清掃装置そのものの操作の考察にまで展開し、一連の機械的バレエ作品(1983〜2012年)へと再編成していった。これらのパフォーマンス作品は、ニューヨーク、十日町、ロッテルダムなど、各地のパレードや祭典にて地元の清掃業者の手によって演じられた。しかしながら、ユケレスの作品がその他「労働者によるバレエ」作品同様、普遍化された共通の言語を追求するべく制度化された動きや環境に焦点を当てる一方、岩井の作品は個人や習慣といった、より私的な領域に焦点を当てている。この傾向は、参加者が準バレエからストリートダンスやフォークダンスに至るまでの、様々な舞踊形態と清掃活動とを組み合わせたトビリシの映像作品で最も明白である。個々のスタイルの独自の性質は、舞踊形態と清掃行動の両方の認識可能な形式的特異性との間で、ある種の緊張感を生み出している。

     このような緊張感は岩井の映像作品、《盆踊りー秋田》(2015)でピークを迎える。3面のスクリーンによって構成される作品には、左側に伝統的でありながらも今では踊られなくなってしまった秋田の盆踊りの映像、右側には秋田の水源近辺にて定期的に行われてきた集団清掃活動の歴史的映像資料、そして、中央のスクリーンには汚染されていない数少ない現存の泉を対象に2015年に行われた清掃活動のドキュメント映像が映し出される。それらは現代の消費生活によって過去の産物と化してしまった習慣を発掘した、ある種の備忘録と言っても良いかもしれない。盆踊りや清掃活動といった共同的かつ集合的な習慣の性質は、現代習慣の背景にある歴史的文脈を形成した現地文化を表すと同時に、グローバル化された消費者文化によって促される事で、新らたに個別化、区画化、非局所化された食器洗い、衣服掃除、政府衛生システムなどの習慣と明らかに対立するものである。このような形式でダンスと清掃とを結びつける行為は、私的空間と公共空間、個人的習慣と商業的需要、地域儀式と地域環境など、それらの間に存在する境界に疑問符を投じている。

     しかしながら、過去半世紀にわたり大規模な都市化と工業化を経験し、そして更に2011年に東北地方を襲った地震の影響を受けた場所において(秋田は直接津波の被害に合っていないものの、東北地方の一部として少なからずの影響を受けている)、これら一連の問いかけは不穏な潜在的性質を孕んでいる。映像イメージの中心的存在として地元の水源が取り上げられていること、それが死者の魂を村に迎え、儀式を通じて慈しむ「お盆」の行事と合わさって、まるで近隣地法で津波によって命を落とした者達の魂をも思い起こさせるようである。岩手、宮城、福島周辺の東海岸沿いを襲った津波だが、それによって発生した大規模な浄化過程は、工業化や商業流通システムなどと緊密に結びついている。低地に位置する造船所や海岸沿いに立ち並ぶ大型商業店舗、製造施設、オフィスビルは津波によって飲み込まれ、跡形も無く消え去ってしまった。浄化を目的とした地域の儀式や季節的に行われる儀式は、水の清浄力に頼ると同時に、水そのものに潜む破壊的な性質にも由来している。しかし、これら地方の習慣や儀式は資本主義的消費文化から派生した「グローバル化された」習慣に取って代わり、地方環境の知識はいかにも「近代化」という白紙の席板の裏に押し遣られ、失われていく。

     近代化と衛生や清潔との結びつきから生まれたこの潜在的危機感と暴力について、岩井は作品内で1945年以前の日本帝国の植民地であった台湾に焦点を置く形で再び言及をしている。日本が台湾を国土として併合した時と同様、様々な帝国が植民地支配によって自国の拡大と暴力行使をしたが、それらを合理化すべく、しばしば用いられるのが「衛生」という表現である。植民地化された異国の土地は、衛生的かつ効率的と称される新しい現代の生き方や都市構造を通じ、植民者によって表面的に「救われる」。明示的にされてはいないものの、放棄された住宅の表面を清掃するために日の丸や台湾の国旗を使い、それらが徐々に汚れいく様を映像に捉えた《フラッグ・クリーニング》(2010年)をはじめ、台湾植民地時代の旧日本家屋を清掃する中でゆっくりと蓄積していく泡の悲愴的な様子を映し出す《Old Japanese House –Intro》(2010年)など、これらの歴史的要素が岩井の作品に全く示唆されていないというのは想像し難い。これらの映像作品において清掃という行為は二国間の永続的な緊張感を露にするある種の手段であるとともに、植民者=近代化を促す者という考えは、ノスタルジックな佇まいの老朽化した建築環境によって逆説的に表現されている。

     しかし、近代化や衛生の概念と階級的社会構造が生み出す暴力との結びつきは、植民地主義にのみ限られたものではない。第二次世界大戦後、カンボジアの首都プノンペンは劇的な人口急増に見回られたため、当時のシハヌーク国王は近代化へ向けてのプロジェクトを発足した。この計画の一環として、カンボジア人建築家のルー・バン・ハップとロシア系フランス人構造家のウラジミール・ボディアンスキーは、1963年にル・コルビュジエの建築に着想を得た近代的な集合住宅を設計している。現在「ホワイトビル」と呼ばれるこの建物は、カンボジアの中流階級から労働階級世帯を対象とした団地のような住宅群だった。しかし、世界中で展開される多くの近代住宅事業同様、建物のメンテナンス計画は最小限であり、住民は主に公務員、路上販売業者、芸術家や職人、文化労働者、社会的暴力団などであったため、過去半世紀にわたって建物を維持または改装するという政治的意思はほとんど見受けられなかった。[2]今、時は経ち解体を目前にそこはスラムと化し、建物を覆い尽くすように生い茂る植物、蓄積された汚れ、剥がれ落ちた塗料、数々のゴミ、ボロボロになった天蓋などの間から、所々建物本来の躯体が見え隠れする。[3]室内は暗く、階段の開口や穿孔部から差し込む僅かな自然光によって照らされている。随所にゴミや汚れが集まり、外光が届く壁には染みが目立つ。住戸改修の必要性は目に見えて明らかであり、中には水道が備わってないものや、雨風を凌ぐ外壁がないものさえある。かつて近代化の夢を形にして誕生した建物は今では廃棄されるべきものの集合体となり、同時にこの僅かな住処ですら、ほとんどの住居者にとって金銭的には精一杯なのである。ここに暮らす人々のコミュニティは現在のプノンペンにおいて、他の場所に移行し、再構築することはできない。日本企業である荒川建設工業が新たな21階建ての高級コンドミニアムの建設に向けて建物の解体準備を進める中、経済的帝国主義の介入を通じて疎外されたコミュニティの移動を正当化すべく、先の近代化と衛生論の対象となるのは、皮肉にも近代の産物なのである。[4]

     このような外部から課せられた暴力的な衛生論の背景の中、岩井の《ホワイトビル・ウォッシング》(2012年)は「清掃」というテーマを地元住民のコミュニティによる自発的かつ集団的な行動という形で表現している。映像は、通りからは垣間みることができない住居者たちの日常生活のリズムを体感すべく鑑賞者を建物内へと誘い、ボトルや空き缶の収集と分離、金属製の桶を使っての洗濯、衣類のアイロン掛けなど、日々行われる整理整頓の行為に焦点を当てている。また、岩井は建物の薄暗い廊下を懐中電灯の光で照らしながら、建物内に蓄積したゴミや汚れを明らかにしている。そして、近隣住民たちによる大掃除が始まる。先ずゴミが掃き出され、その後洗剤を含んだ水が廊下や階段に流されていく。床、手摺、天井、壁が、ホウキや雑巾、ブラシによって綺麗に磨かれていく。子供から大人、お年寄りまでが皆一斉に掃除に参加するが、上層階から住戸間を繋ぐ廊下を伝って下へと流れる水の様子から見受けられる限り、この一連のプロセスは規則的というよりも、有機的な性質を孕んでいるように思える。例え行為そのものが意図的に行われたものだとしても、岩井が提示する方法論や清掃過程は、資本主義的衛生概念の体制や効率性とは分裂した居住コミュニティの構造から派生したものである。まさにこの分裂において、「汚れ=不秩序」と説いたダグラスの論説に再会することとなる。果たして、荒川建設工業によって建物そのものを解体してスラムを「清掃」する方法を、コミュニティの手を借りて既存の建物を洗う方法より好む理由があるのだろうか。それは、価値観や文化的風習の問題なのではないだろうか。グローバル資本主義によって支持される普遍主義、それと結託した分類定義による暴力行使の一例なのではないか。

     

     最終的にはどのように結論づけるべきだろうか。本文の冒頭で岩井の作品を抽象表現主義と比較したことにも通ずるように、彼の作品が芸術という文脈において展開することに重要な意味はあるのだろうか。デビッド•ハモンズの作品を位置づけするにあたり、作家でキュレーターのトム・フィンケルパールは美術館とその客観的とされている日常からの距離感が、白人の「中立性」やホワイト・スペース(白い空間)、そして「中産階級の白人の清潔な価値」によって成り立っていると言う。

    Even the critique of the clean, white space—the traditional gallery or museum exhibition space—and clean white values is internal, and does not undermine the cleanliness of the art world…Who can guess from the look and feel of their [Jeff Koons, Haim Steinbach, Barbara Kruger, and Sherry Levine] art that they are working in a city that includes Bushwick, Harlem, Flatbush and Howard Beach?[5]

    汚れのない白の空間―すなわち伝統的なギャラリーや美術館の展示空間―の批評や純白の価値は内部的なもので、美術界の清廉さを損なわせるわけではない。ジェフ・クーンズやハイム・スタインバック、バーバラ・クルーガー、シェリー・リーバインの作品を見ただけで、彼らが活動していた街にはブッシュウィック、ハーレム、ハワードビーチのような場所もあるということを誰が想像できるだろう?5

     

     フィンケルパールは、上記に述べられるような区別化に異を唱え、芸術製作に伴う物理的および社会的文脈の複雑さや乱雑を孕んだ作品や展覧会への賛成を称している。社会的位置付けよりも個人的表意に重みをおく抽象的表現主義では、「造られた汚れ」によって人種、社会、経済といった様々な問題を取り繕われてしまう。代わりにフィンケルパールは、それらと真摯に対峙する作品を求めるべく、薄汚れたストリート、とりわけ都市空間の片隅から生まれるような芸術に目を向ける。岩井の作品もまた、近代的価値観や考えを未だ掲げ続ける美術館の偏見や盲点を露にするものである。芸術の枠組みにおける清潔さや衛生といった概念の過程、価値観、そして定義を疑問視することで、社会において、いかに私たちの衛生に体する考えが形付けられていくのか、そしてその構造的秩序に潜む暴力性を焙り出しているのだ。岩井は展示空間に潜む暴力性と、それが価値創造を左右する資本主義的ヒエラルキーに作用する旨を白日の下にさらし、同時に世界全体における清掃行為に暗示されている暴力性を反映していると明らかにしているのである。

     

     



    [1] Mary Douglas, Purity and Danger: An analysis of concept of pollution and taboo (New York: Routledge, 2008), 2.

    [2] Sa Sa Art Projects and Big Stories Co., 「ホワイトビルについて]、ホワイトビル、アクセス日: 2017年6月14日 http://whitebuilding.org/en/page/about_the_white_building#endref3.

    [3]2017年6月現在、建物は解体へ向けて住人の立ち退きが行われている最中である。本文における建物の内観や雰囲気については、2016年12月に現地を訪れた際に見た光景を元に記している。

    [4] Tara Yarlagadda 著、「360ビデオ:解体へ向けたカンボジアの歴史的建造物:街の中の街 」 PBS NewsHour、2017年6月3日、 http://www.pbs.org/newshour/updates/360-vide-white-building-cambodia-demolition/.

    [5] Tom Finkelpearl, “On the Ideology of Dirt,” David Hammons: Rousing the Rubble (Cambridge: MIT Press, 1991), 66.

     

    By Nina Horisaki-Christens

     

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岩井優:「新・今日の作家展2018 定点なき視点」(横浜市民ギャラリー)


岩井優は、横浜市民ギャラリーにて9月21日〜10月8日まで開催される「新・今日の作家展2018 定点なき視点」に参加します。

 

また会期中、久保明教氏(一橋大学大学院社会学研究科准教授)とのトークイベントも行われます。

 

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【展覧会概要】
「新・今日の作家展2018 定点なき視点」

 

会  場:横浜市民ギャラリー 展示室1、B1

会  期:9月21日(金)〜10月8日(月・祝)
開館時間:10:00~18:00(入場は17:30まで)
参加作家:岩井優、川村麻純、阪田清子

 入場無料、会期中無休

展覧会ウェブサイト:http://ycag.yafjp.org/our_exhibition/new-artists-today-2018/


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【イベント概要】

対談「幽霊のはなし」

岩井優×久保明教

 

日  時:9月29日(土) 15:00〜16:30
会  場:横浜市民ギャラリー 4階アトリエ

参加無料、申込不要

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    岩井優:「習慣のとりこ」カタログPDF版が公開されました。


    2015年、2016年の二度にわたりAKIBI plus(秋田市)で実施された岩井優によるプロジェクト「習慣のとりこ」の活動記録をまとめたカタログのPDF版が公開されました。
     
    以下、AKIBI plusウェブサイトよりどうぞご覧ください。
    http://akibi-plus.jp/topics/1708/
     
    2015年に行われた滞在制作および展覧会「習慣のとりこ ̶踊り、食べ、排便する。」では秋田市新屋地域を中心に、変わりゆく湧水や盆踊りについてのリサーチを通して、人々の習慣の変化に着目し、戦後の地方都市の姿を描き出すと同時に、滞在場所の空き家を人々に開放し、地元住民からのヒアリングを行ったり、学生と共に制作を行うことで、人々の新たな交流を生み出しました。2016年の「展覧会『習慣のとりこ』をつくる」では8mm フィルムやビデオなど、現在では媒体の変化によって見られる機会の減ったホームビデオのリサーチをきっかけとして、市井の人々の暮らしや祭りなど文化的慣習の変化から地方都市の変遷を可視化させています。

    各プロジェクトが写真とともに時系列で記録された本カタログには、横浜美術館主任学芸員の木村絵理子氏とキュレーター/コーディネーターの長内綾子氏によるエッセイも収録。
     
    これらのプロジェクトは秋田公立美術大学に所属する教員が県内4つの地域と連携して実施するアートマネジメント人材育成プログラムAKIBI plusにて、アーティスト/アートマネジメントの活動に興味を持つ地域住民や学生との協働プロジェクトとして実施されました。

      岩井優: Reborn-Art Festival 2017 トーク第1弾『地球史の牡鹿』


      2017年夏、宮城県石巻市市街地と牡鹿半島を舞台に開催予定の総合芸術祭Reborn-Art Festival2017の準備がすすんでいます。日本で始めてのこの試みのアート部門のキュレーションをワタリウム美術館が行なっています。
      岩井優が開催に先立ち制作委員の一人人類学者の中沢新一氏と他の参加アーティストによるアートトーク第一弾に参加します。

      Reborn-Art Festival 2017 トーク第1弾『地球史の牡鹿』
      出演:中沢新一(思想家・人類学者)
           + 岩井優、金氏徹平、パルコキノシタ 他、参加アーティスト
      日時:10月29日(土) 19:30〜21:00
      場所: ワタリウム美術館
      参加費:1000 円(※ワタリウム美術館会員割引有)

      お申し込み方法や詳細は、こちらからご確認下さい。goo.gl/eDPKWV

      Artist

      岩井優・山下麻衣+小林直人:"Now Japan" Kunsthal KAdE Amersfoort


      岩井優および山下麻衣+小林直人が、オランダのKunsthal KAdE Amersfoortでグループ展に参加します。詳細は下記をご覧ください。

      “Now Japan”
      会期:2013年9月21日〜2014年2月2日
      場所: Kunsthal KAdE Amersfoort(オランダ)
      http://www.kunsthalkade.nl/tentoonstelling.php?item=2047

      Art Fair

      岩井優:"Am I you?" Artisterium VI グルジア


      岩井優がグルジアの首都トビリシにて毎年開催されている展覧会およびアートイベントのArtisterium VIに参加いたします。詳細は下記をご覧ください。

      “Am I you?”
      会期:2013年10月4日〜2013年10月14日
      場所:Georgian National Museum, I. Grishashvili Tbilisi History Museum, 8 Sioni Str.(グルジア)
      http://artisterium.org/

        Artist

        岩井優:最新ニュース


        岩井優がプラハでレジデンスおよびグループ展に参加します。また、NYでもグループ展へ参加しパフォーマンスを行います。詳細は下記をご覧ください。
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          Artist

          岩井優:六本木アートナイト2013


          岩井優が3月23日(土)〜24日(日)に行われる六本木アートナイト2013に参加いたします。岩井は広域プログラムのアートポート六本木に参加予定です。
          詳細は下記をご覧ください。
          http://www.roppongiartnight.com/ホワイトビルウォッシング/

          ROPPONGI ART NIGHT 2013
          日時:2013年3月23日(土)17:55[日没]~3月24日(日)5:39[日の出]
          場所:六本木7丁目空地(六本木7-7-16)
          アーティスティックディレクター:日比野 克彦

          Gallery

          アートフェア東京 2012


          Takuro Someya Contemporary Art はアートフェア東京2012に参加いたします。
          今年は岩井優の個展形式での展示となります。
          またトーキョーワンダーサイト渋谷では、カンボジア滞在中に制作された新作がご覧いただけます。皆様お誘い合わせの上、是非お立ち寄り下さい。

           

          【アートフェア東京2012】
          会場 : 東京国際フォーラム

          ファーストチョイス&オープニングプレビュー
          3/29(木) 16:00 ~ 21:00

          3/30(金) 11:00 ~ 21:00
          3/31(土) 11:00 ~ 20:00
          4/1(日)  10:30 ~ 17:00


          【トーキョーワンダーサイト】
          TWSクリエーター・イン・レジデンス・オープン・スタジオ
          トーキョー・ストーリー 2011
          2012年3月10日(土) – 2012年4月29日(日)
          休館日:3/12・19・26、4/2・9・16・23
          時間:11 : 00 – 19 : 00

          Gallery

          岩井優:"Dancing Cleansing" TSCA


          展覧会のお知らせ

           

          岩井優

          Dancing Cleansing

          2011年11月12日(土)- 12月10(土)

           

          1975年京都生まれ。2009年東京藝術大学美術研究科後期博士課程修了。博士(美術)。これまで「クリーナーズ・ハイ」というテーマで、清掃/ごみを作品制作に持ち込んでいる。インスタレーション、映像、パフォーマンスなど多岐に渡る表現媒体を用いて、我々の暮らしに内在する清潔への欲望を、矛先をずらしながら示し、循環的な営みを問い直している。主な個展に「Clean up 1. 2. 3.」(Art Center Onging、東京、2009)、「Cleaner’s high #1」(Otto maintzheim Gallery、東京、2008)。主なグループ展に「Re:membering – Next of Japan」(Alternative space LOOP、韓国、2009)、「Double Cast」(トーキョーワンダーサイト本郷、東京、2007)など。

           

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          岩井優:「新・今日の作家展2018 定点なき視点」(横浜市民ギャラリー)


          岩井優は、横浜市民ギャラリーにて9月21日〜10月8日まで開催される「新・今日の作家展2018 定点なき視点」に参加します。

           

          また会期中、久保明教氏(一橋大学大学院社会学研究科准教授)とのトークイベントも行われます。

           

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          【展覧会概要】
          「新・今日の作家展2018 定点なき視点」

           

          会  場:横浜市民ギャラリー 展示室1、B1

          会  期:9月21日(金)〜10月8日(月・祝)
          開館時間:10:00~18:00(入場は17:30まで)
          参加作家:岩井優、川村麻純、阪田清子

           入場無料、会期中無休

          展覧会ウェブサイト:http://ycag.yafjp.org/our_exhibition/new-artists-today-2018/


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          【イベント概要】

          対談「幽霊のはなし」

          岩井優×久保明教

           

          日  時:9月29日(土) 15:00〜16:30
          会  場:横浜市民ギャラリー 4階アトリエ

          参加無料、申込不要

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            岩井優:「習慣のとりこ」カタログPDF版が公開されました。


            2015年、2016年の二度にわたりAKIBI plus(秋田市)で実施された岩井優によるプロジェクト「習慣のとりこ」の活動記録をまとめたカタログのPDF版が公開されました。
             
            以下、AKIBI plusウェブサイトよりどうぞご覧ください。
            http://akibi-plus.jp/topics/1708/
             
            2015年に行われた滞在制作および展覧会「習慣のとりこ ̶踊り、食べ、排便する。」では秋田市新屋地域を中心に、変わりゆく湧水や盆踊りについてのリサーチを通して、人々の習慣の変化に着目し、戦後の地方都市の姿を描き出すと同時に、滞在場所の空き家を人々に開放し、地元住民からのヒアリングを行ったり、学生と共に制作を行うことで、人々の新たな交流を生み出しました。2016年の「展覧会『習慣のとりこ』をつくる」では8mm フィルムやビデオなど、現在では媒体の変化によって見られる機会の減ったホームビデオのリサーチをきっかけとして、市井の人々の暮らしや祭りなど文化的慣習の変化から地方都市の変遷を可視化させています。

            各プロジェクトが写真とともに時系列で記録された本カタログには、横浜美術館主任学芸員の木村絵理子氏とキュレーター/コーディネーターの長内綾子氏によるエッセイも収録。
             
            これらのプロジェクトは秋田公立美術大学に所属する教員が県内4つの地域と連携して実施するアートマネジメント人材育成プログラムAKIBI plusにて、アーティスト/アートマネジメントの活動に興味を持つ地域住民や学生との協働プロジェクトとして実施されました。

              岩井優: Reborn-Art Festival 2017 トーク第1弾『地球史の牡鹿』


              2017年夏、宮城県石巻市市街地と牡鹿半島を舞台に開催予定の総合芸術祭Reborn-Art Festival2017の準備がすすんでいます。日本で始めてのこの試みのアート部門のキュレーションをワタリウム美術館が行なっています。
              岩井優が開催に先立ち制作委員の一人人類学者の中沢新一氏と他の参加アーティストによるアートトーク第一弾に参加します。

              Reborn-Art Festival 2017 トーク第1弾『地球史の牡鹿』
              出演:中沢新一(思想家・人類学者)
                   + 岩井優、金氏徹平、パルコキノシタ 他、参加アーティスト
              日時:10月29日(土) 19:30〜21:00
              場所: ワタリウム美術館
              参加費:1000 円(※ワタリウム美術館会員割引有)

              お申し込み方法や詳細は、こちらからご確認下さい。goo.gl/eDPKWV

              Artist

              岩井優・山下麻衣+小林直人:"Now Japan" Kunsthal KAdE Amersfoort


              岩井優および山下麻衣+小林直人が、オランダのKunsthal KAdE Amersfoortでグループ展に参加します。詳細は下記をご覧ください。

              “Now Japan”
              会期:2013年9月21日〜2014年2月2日
              場所: Kunsthal KAdE Amersfoort(オランダ)
              http://www.kunsthalkade.nl/tentoonstelling.php?item=2047

              Art Fair

              岩井優:"Am I you?" Artisterium VI グルジア


              岩井優がグルジアの首都トビリシにて毎年開催されている展覧会およびアートイベントのArtisterium VIに参加いたします。詳細は下記をご覧ください。

              “Am I you?”
              会期:2013年10月4日〜2013年10月14日
              場所:Georgian National Museum, I. Grishashvili Tbilisi History Museum, 8 Sioni Str.(グルジア)
              http://artisterium.org/

                Artist

                岩井優:最新ニュース


                岩井優がプラハでレジデンスおよびグループ展に参加します。また、NYでもグループ展へ参加しパフォーマンスを行います。詳細は下記をご覧ください。
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                  岩井優:六本木アートナイト2013


                  岩井優が3月23日(土)〜24日(日)に行われる六本木アートナイト2013に参加いたします。岩井は広域プログラムのアートポート六本木に参加予定です。
                  詳細は下記をご覧ください。
                  http://www.roppongiartnight.com/ホワイトビルウォッシング/

                  ROPPONGI ART NIGHT 2013
                  日時:2013年3月23日(土)17:55[日没]~3月24日(日)5:39[日の出]
                  場所:六本木7丁目空地(六本木7-7-16)
                  アーティスティックディレクター:日比野 克彦

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                  アートフェア東京 2012


                  Takuro Someya Contemporary Art はアートフェア東京2012に参加いたします。
                  今年は岩井優の個展形式での展示となります。
                  またトーキョーワンダーサイト渋谷では、カンボジア滞在中に制作された新作がご覧いただけます。皆様お誘い合わせの上、是非お立ち寄り下さい。

                   

                  【アートフェア東京2012】
                  会場 : 東京国際フォーラム

                  ファーストチョイス&オープニングプレビュー
                  3/29(木) 16:00 ~ 21:00

                  3/30(金) 11:00 ~ 21:00
                  3/31(土) 11:00 ~ 20:00
                  4/1(日)  10:30 ~ 17:00


                  【トーキョーワンダーサイト】
                  TWSクリエーター・イン・レジデンス・オープン・スタジオ
                  トーキョー・ストーリー 2011
                  2012年3月10日(土) – 2012年4月29日(日)
                  休館日:3/12・19・26、4/2・9・16・23
                  時間:11 : 00 – 19 : 00

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                  岩井優:"Dancing Cleansing" TSCA


                  展覧会のお知らせ

                   

                  岩井優

                  Dancing Cleansing

                  2011年11月12日(土)- 12月10(土)

                   

                  1975年京都生まれ。2009年東京藝術大学美術研究科後期博士課程修了。博士(美術)。これまで「クリーナーズ・ハイ」というテーマで、清掃/ごみを作品制作に持ち込んでいる。インスタレーション、映像、パフォーマンスなど多岐に渡る表現媒体を用いて、我々の暮らしに内在する清潔への欲望を、矛先をずらしながら示し、循環的な営みを問い直している。主な個展に「Clean up 1. 2. 3.」(Art Center Onging、東京、2009)、「Cleaner’s high #1」(Otto maintzheim Gallery、東京、2008)。主なグループ展に「Re:membering – Next of Japan」(Alternative space LOOP、韓国、2009)、「Double Cast」(トーキョーワンダーサイト本郷、東京、2007)など。

                   

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